最近、ウォークマンをしている人をよく見かけるようになった。自分自身も近所へ買い物に行く際など、ちょっとした用事でも持ち歩いている。音楽を聴くという理由から使用するのが前提だが、近頃は「音」自体にはそれほど意味がないような気がしてきた。
人ごみや街中では、キャッチセールスや車・人の会話など雑音が多くそれから逃れるため、自分の世界や自分の歩幅・リズムを守るため、周囲から侵害されないためのツールとして身に着けいているように思えるのだ。歩きながら音楽を聴くということは聴覚情報の限定であり、ある種、コミュニケーション断絶の常套手段ともいえる。
今作でもウォークマンは重要な小道具のひとつであり、「リリイ・シュシュのすべて」のすべてはエンドロールに凝縮されているように思う。前述のようにウォークマンはコミュニケーション不全・断絶の表れであり、また14歳の登場人物の信じれる存在が身近な人ではなく、リリイ・シュシュという遠い存在のアーティストだということを見せている。
それは蓮見・星野・津田それぞれが独りずつ画面に登場しているところ、自己を確立している久野のみがこのシーンに登場しないことからも分かる。どこまでも続く、青々とした田園風景は14歳の純粋な気持ちを示し、宙を舞うクレーンを使用したカメラワークは14歳の揺れ動く、不安定な胸の中を暗示しているようだ。
「リリイ・シュシュのすべて」ではいじめやレイプなど重い描写があり、それほど鑑賞したいという気持ちにはならない。しかしあの田園での一連の映像は、何度もこの作品の記憶を蘇らせ、岩井俊二監督の狙う精神世界へと鑑賞者を誘い込む。これまで1000本以上映画を観てきたが、そのなかでも最も美しいエンドロールだ。架空のアーティスト、リリイ・シュシュが唄う「グライド」も浮遊感や解放・リカバーなどを連想させるものであり、登場人物が彼女の唄に依存しているという、説得力を感じる素晴らしい楽曲だった。
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