昔、ドラえもんの秘密道具のなかに「どくさいスイッチ」というものがあった。名前を呼ぶだけで嫌な人を消すことができる道具なのだが、のび太は周りの人物を消していき、結局は世界中の人々を消してしまう。1人取り残された世界で好きな物を食べたり、おもちゃで遊んだり、悠々と生活を始めるも直ぐに孤独に包まれるという展開、幼心にもこのシチュエーションは衝撃的で記憶に鮮明に残っていた。「世界で1人だけ」という設定は究極の孤独であり、この上ない虚無の境地だろう。
「アイ・アム・レジェンド」の冒頭はクリッペン医師のテレビインタビューで始まり、画面が暗転した時には3年後のニューヨークが映し出される。人類滅亡のプロセスを描かず、情報を極力与えず、最初から誰もいない高層ビルと雑草と動物が共存する異様なニューヨークを観せる演出は巧く、一気にこの世界に惹きこまれた。CGの技術は見た事のない物体を描くことや、激しいスペクタクルシーンに用いられるのが常だが、タイムズスクウェアやブルックリン橋など圧倒的なスケールでありながら、細部まで緻密にCGで再現された動きの無い舞台、巨費を投じたであろう映像にまずは驚嘆してしまう。
1人で生き残るサバイバル映画といえば「キャスト・アウェイ」を思い出す。無人島に漂流し、なにもないゼロの状態からライフラインを構築するのに対し、今作ではほとんどの物質が供給過多状態にある大都市圏が無人島であり、それまでの日常とのギャップが面白い。生活感が残っているのに現在は1人、将来に対する希望がないという観点からすれば、今作のほうがより虚無的になるのではないだろうか。劇中のウィル・スミスは規則正しい一定のリズムを守った生活、運動をし食事を摂り、パソコンで記録を残し、レンタルビデオを返すという、出来る限り普通の生活を維持することで精神を正常に保っていたように思える。
*****以下、ネタばれ注意*****
予想に反して「アイ・アム・レジェンド」にはホラー要素が強かった。ダークシーカーと呼ばれるウイルスに感染した凶暴な人間が主人公に襲ってくるのだが、その遭遇シーン、複数のダークシーカーがビルの内部で黙って立っている場面は心底恐かった。突発的に驚かせる演出も多く、この手のジャンルが苦手な人にとっては辛いものだったように思う。また、じっくりと孤独を描いた前半に対して、愛犬のサムが感染した後からリズムが変わったように物語が駆け足になっているのは残念である。
現在の状況を踏まえて、神は存在しないと言っていたウィル・スミスが、娘の別れ際の言葉と、女性の蝶の刺青、蝶に見えたガラスの割れ方で悟ったように行動にでる展開は興味深い。個人的にはこの辺りのテーマを掘り下げて欲しかったが、娯楽作品としてのバランスをとったのか、多少の物足りなさを感じてしまうラストだった。
ワタシも同じ感想です♪愛犬サムが死ぬ前まではいい感じで孤独と恐怖が出てたのに、死んでからの展開がちょっとイマイチ。
やっぱり、あの暗闇に10匹くらい立ってるナイトシーカーは激ヤバでしたよね〜。ウワッいたっ!て思いました。面白いblogですね。また遊びに来ます♪