「リトル・チルドレン」という言葉は正式に存在するのだろうか。造語かもしれないが、大人になりきれない大人というニュアンスのようだ。何歳になっても子供のような心を持っていたいものだが、いつまでもモラトリアムを追っていてはいけない。誰にでもひとつくらいはある秘密、もしくは成熟できていない部分を見つめ直し、そのような心の揺らめきを主役のカップルのみならず、元受刑者、元警官など複数の人々を描きながら物語は進行していく。今の自分に足りないものや必要なもの、それらは失ったときに気付くことが多い。劇中の人物も喪失、あるいは失いかけて初めてその意味に気付かされていた。その苦しみや葛藤こそが経験であり、大人になるということなのだろう。
*****以下、ネタばれ注意*****
最近、映画を観ていると女性が強く、男性が弱いなと思うことがよくあるのだが「リトル・チルドレン」でも如実にそれを感じてしまった。隠れながらの不倫・情事に耐えられなくなったケイト・ウィンスレットはこの関係を限界と言い、なんらかの進展を男性に求める。一方で不倫相手のパトリック・ウィルソンは逃げようと言い、現在の生活からの逃避を計る。しかもその逃亡途中でも、スケートボード少年に魅入り、ジャンプの技に挑戦して大怪我をするという情けないもの。ジェニファー・コネリー、その母、そしてフィリス・サマーヴィルをはじめ女性を強く描いているのは現在社会の投影なのか、男女間元来の本質なのか興味深いところである。
ケイト・ウィンスレットが激しいセックスシーンに挑んでいるが、それよりもその夫が、他の女性の下着を顔に纏い自慰行為に勤しむシーンは大爆笑ものである。しかもその姿をケイト・ウィンスレットに目撃される悲惨さ、死んでも死にきれないだろう。この夫について、その後の展開はなかったが、なんとも気になるキャラクターでありボストン郊外で起こる、この街の出来事をもう少し傍観していたい、そんな気持ちになった。
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