"ダニエル・デイ=ルイス!!"この一言に尽きる。物語・プロットを忘れさせ、1人の人間に対してこれほど魅せられる作品に出会ったのは久しぶりだ。現在商業ハリウッドに反抗するかのように、職人気質・メソッド演技を備えた俳優が居たことをまずは嬉しく思う。
「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」では主人公(ダニエル・プレインビュー)の他、信仰と自我の言葉に溺れるイーライやプレインビューと行動を共にするH.W.など、面白いキャラクターは登場するが、今作はあくまでダニエル・プレインビューの物語である。その存在は地上よりはるか上にそびえる、油井やぐらのごとく圧倒的なものであり、他を寄せ付けず全てを支配していた。
「群像劇」というレッテルを貼られたポール・トーマス・アンダーソンは、今作では多人数・同時平行というトリックを排除し、1人の男の一大叙事詩を見事に完成させている。それまでのイメージからの華麗なる脱却と監督の柔軟な創作性に、今回も強烈なパンチを喰らったな気分になった。
*****以下、ネタばれ注意*****
意外だったのは、ラスト20分ほどで時代と作品の空気が一変したことだ。「2001年宇宙の旅」のラスト、木星からとある部屋へとワープしたかのごとく、カリフォルニアの荒野から邸宅へと舞台が移る。それまでのダイナミックな画、夕陽を覗き込むような光はなく、狭く暗く異常な空気が漂うこの部屋はプレインビューの精神世界といってもいい。
H.W.と決別を交わし、狂気に満ちた彼はイーライを殺してしまう。数々の酒の瓶、ボーリング部屋や"ミルクセーキ"といった言葉がその倒錯性を助長させていた。それにしてもダニエル・プレインビューは興味深い人物である。誰とでも一旦は親しくするも、相手が少しでも利己的な態度にでると、一瞬にして距離を置き憎悪の対象となるのだ。
なにが彼をそこまで追い詰めるのか、その過去に秘密がありそうだが本編で語られることはなかった。冒頭の採掘の過程から推測すると、長年1人でピッケルを片手に、穴を掘っているうちに"完全主義"ともとれる、それらの精神が研ぎ澄まされたように思える。いずれにせよ、このラストの一連のシーンはダニエル・デイ=ルイスをイメージする上で、長い間語り継がれる場面となるだろう。
「I am finished」と言い、背中を丸め、力なく座り込んだプレインビューとそこに横たわる死体。ラストカットになって初めて「There Will Be Blood」というタイトルの意図がつかめた。
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誰とでも一旦は親しくするも、相手が少しでも利己的な態度にでると、一瞬にして距離を置き憎悪の対象となるのだ。
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ここがささりました。
やはり見なければ。。。